「人間に一番大事な力は何だと思う?」
思考力、行動力、発想力、大喜利力…などなど、世にある様々な「○○力」
大事にしていることは千差万別だろうが、当時勤めていた会社の先輩社員にこの質問をされたとき、当時20代だった私は「コミュニケーション力ですかね」と答えていた。先輩は「なるほどね」と言いつつ「俺は体力だと思うね」と答えていた。「はぁ…」とその時は自分にはその答えが腑に落ちていなかった。その時はその場が盛り上がれば良いだけの会話だったのだが、なんだか先輩の答えがずっと心の中に引っかかった。
そして、現在は私も体力が大事だと考えるようになった。人間の根幹を成すものは「体力」である。「健全なる精神は健全なる身体に宿る」という言葉がある。健全なる身体を持った者が本当に全員健全な精神を持っているかというところはやや疑問があるが、世の中で活躍をしている人を見ていくと、共通しているのは「体力がある」ということは間違いないと感じている。上記の格言の代表例は明石家さんまさんだろう。
20代の頃の私が腑に落ちなかったのは、それが自分にとって当たり前過ぎることだったからだ。ちなみに私は27歳で転職した2社目の会社を11年間病欠することなく過ごしている。(病気以外の欠勤はあり、12年目でインフルエンザにかかってしまいその記録は途絶えた)私自身もそれなりに体力がある方のようだ。
父親として、私の子育ての方針
30代になり、運良く父親になることができた。(それも今の妻と出会えたおかげだな、感謝!)父としての教育の大方針は「体力のある子に育てる」ということだ。
長男が2歳の頃から毎週日曜日は朝から公園にでかけると決めていた。その当時のルーティンをここに残しておきたいと思う。出かけるときに決めていた方針は「親の私から帰ろうとは言わない」ということ。
毎週の日曜日の息子との冒険
日曜日の午前10時、「冒険に行こう!」という合言葉ととも息子と家を出発。
この当時はわが家の平日の育児は妻のワンオペ状態で、できるだけ妻に休息の時間を作りたいという考えもあった。そのため、朝10時に出て何時に家に帰るのかをこの時点では決めないようにしていた。むしろ「できるだけ遅くに帰ることが望ましい」とすら考えていた。
家を出て、いつもいく公園に向かう途中に必ず立ち寄るのが、2階が鉄格子でできた自走式立体駐車場。その2階に上がり「下が(鉄格子のため透けて)見えるのすごい!」行ってみたり、周りを見渡して近くの家のベランダにあるサボテンを見たりし、息子が満足してからまた公園に向かう。大人からすると何が面白いのかわからないが、息子は鉄格子でできたその空間の不思議さを楽しんでいるようだった。2歳児にとっては様々な場所が冒険の一端となるのだ。
そして目的地の公園に到着。広さ25㎡ほどの小ぶりな公園だ。その狭い公園にはすべり台とブランコと砂場がひしめき合っており、それなりに遊ぶことができる。そこで小一時間ほど過ごし、次の公園へ。親水公園の緑道で枝を拾ったり、落ち葉を蹴ったりしながらへ移動する。息子はこの当時から「ちょうど良い長さの枝」を見つけることが上手だった。まるで空島編のルフィーのようだ。長い棒になんだか心惹かれるのは男の子特有ものだろうか?
次の公園に到着。先ほどと同じくすべり台とブランコと砂場があり、そこで時間を過ごす。「さっきと同じ構成の公園だが、これは移動した意味があるのか」という疑問は最初の頃は感じていたかもしれないが、次第にそういったツッコミは思いつかなくなっていった。
そうこうして、気が付くとお昼になる。
昼食はコンビニでおにぎりを買って食べたり、近くのフードコートがある施設でラーメンを食べたりしていた。長男はこの頃から昼は麺類しか食べなかった。フードコートは人気の場所で、なかなか席が見つからないこともある。コバンザメのように座れる席がないか辺りをウロウロ…。席に着くまでに30分ほどかかってしまったこともあった。長男も「早く座りたい」などと言ってくる。自分がリードする立場だった場合、フードコートは行くべき場所ではない。これが彼女だったらきっと蛙化現状が起こっていたところだろうが、幼い息子には父が王子様には見えてはいないようだったので助かった。
お昼ご飯を食べたら、自然と自宅の方へ歩き出すのがルーティンだった。
ここまで1駅分くらい歩いているので、帰るのにもそれなりに時間がかかる。何もない歩道を歩いているだけなのに「パパ!トンボいた!」」と息子はまた何かしらの発見をしてくるのだから、子どもとはすごいものだ。いつぞやは税務署を囲む塀によくわからない虹色のさなぎがくっついていた。「きれいだね!」と二人で盛り上がったが、それが未だに何のさなぎだったかはわからない。
家まで残り300mくらいのところで、「家まで競争しよう!」と私は毎回提案するようにしていた。
「いいよ!」と息子も乗り気でよーいどん!ここであえて息子に前を走らせ、追い抜かすことはせずに後ろをついて追いかける態勢を作るようにしていた。人は追いかけられていると走り続けてしまうものなのだ。
そしてゴールまで30m手前くらいのところで息子を追い抜かし、ゴール地点で「ここまで走っておいで!」と言って息子を待ち構え。最後にラストスパートをかけさせるための作戦だ。ゴールしたと同時に「よく走ったね!」と息子を称賛しながらのたかいたかい!
そうやって息子をギリギリまで走らせ、家に着くとすぐにお昼寝タイムになるというわけだ。
ここまでして平均の帰宅時間は15時前後だった。世のお父さんお母さんに問いたいこと。それは「お昼を挟んで5時間子どもと一緒にいるのって、なかなかすごくないですか?」ということだ。自慢することではないが、けっこうな体力がないとできないことではないかと思う。当時の私にはやはりそれなりの体力があったようだ。
帰ると言わない父 VS 遊び続けたい息子
そんな私だが息子に対して「これは負けた」と思ったこともあった。
晩秋もしくは初冬と呼ぶべき寒さが際立ってきたある日、「少し離れたところに滑り台が長くて有名な公園があるらしいよ」ということを聞きつけ、当時3歳だった長男と一緒に行ってみることにした。
公園に到着し、噂の長いすべり台を滑った後、長男は公園でぶらぶらと遊んでいた。この頃の長男は親が付きっ切りでなくとも、自立して遊べるようになっていた。
ふと気が付くとその地元の子どもたちと一緒に遊んでいる息子の姿があった。相手の子どもたちは小学2、3年生くらいだろうか。こういった知らない子と仲良くなることは私としては良いことだと感じているし、「子どもってたくましい」と感心させられる。
長男が地元の子どもたちと遊んでいる様子から「帰りが遅くなりそうだぞ」とは感じていた。しかし、こちらも元々その想定で外に出ている。防寒対策は万全だ。なんと言っても現代には「スマ~トフォン~♪」というほぼドラえもんの秘密道具と言っても過言ではない機械が開発されている。この日も「息子が帰ると言うまでは帰らないぞ」と心に決めていた、この時点までは。
14時頃から公園で遊び始めて、15時、16時、17時になり…。地元の子どもたちは帰る気配がない。ということは息子も帰ろうとは言わない。さすがに「帰ろうかな…」と考え始めるパパ。「あとどれくらいの遊ぶの?」長男に聞いてみる。息子の答えは「もうちょっと!」それが18時になっても息子の答えは「もうちょっと!」
さすがの私も「もう帰るよ」と息子に言ってしまった。それでも息子は「もうちょっと!」と言い続ける。日は暮れて、気温もかなり低下してきている。大人の私には寒さが限界だった。18時半を過ぎたところで「もう帰るって言ってるでしょ!」と息子を怒鳴ってしまった…。現時点では「もう帰るよ」で息子を怒ってしまったのはこの1回だけだ(たぶん)。
自宅から離れた距離だったので、帰るのにも一苦労。息子もさすがに疲れたらしく、帰りは「もう歩けない」となっていた。息子をおんぶをしながら「さっきは怒ってごめんね」と私は息子に謝った
この日から数年の月日が流れ、次男が生まれ、今では長男は小学生となった。
最近は割と早めに私から「そろそろ帰ろうか…」と言ってしまう。老いには勝てないものなのだ…。