人生初の息子の授業参観の話
前半のお話はこちら↓
子育て日記「日々の生活が現れる瞬間」初めての小学校授業参観
長男(小学校1年生)の授業を見学している途中、ふと妻はどうしているかなと思い探してみると、いろいろなお母さま方と話をして回っていた。保育園時代のママ友だけではなく、この授業参観で初めて知り合った保護者ともコミュニケーションを取っているわが妻。わが家の外交官の働きぶりに「さすが!」と感心する私。
次は文字の練習へ。
先生が席の先頭の子へプリントを渡し、そのプリントが順番に後ろへ流れていく。
この作業はどの時代になっても変わらないものなんだな、なんて思っていたが、
現代はGIGAスクール構想がある時代だし、もしかしたらこの光景の終焉がそこまで来ているのかもしれない。
「え?プリントとは何ですか?あー、PDFのことですか!?」
と無邪気に言い放つ子どもが当たり前の未来がもうすぐ来るのかも…。
「わら半紙とは何ですか?」の時代はもう通り過ぎたのかな?
ここで担任の先生から保護者へ
「保護者の方もよかったらお子さんの近くに行ってあげてください」とあったので息子の席まで近寄ってみた。
問題用紙を見ると「く」を書くことに特化したプリントで、それ以外に思考することは特になし(と私には見えた)。「一画で書ける「く」をここまで練習するのか!?」とは思ったが、入学してまだ1ヵ月目の子どもたちに対してなのだから、それくらいがちょうど良いのかもしれない。「基礎を習得するときに個性が入り込む余地は絶対にない」と落語家の立川談春もYouTubeでそう話していた。何十年も落語にたずさわる名人がそういうのだから、きっとそうに違いないのだろう。
わが家の長男は私(パパ)が近くに寄って来てもあまりこちらを見ず、「く」を書くことに専念していた。親として口出ししたい気持ちはあったが「ここは自主性が大事、なのかな」と考え、できる限り余計ないことは言わないように努めた。文字を全部書き終えた子から教卓に向かい、そこで先生に丸付けをしてもらう。お手本通り書けていない文字は書き直しするという方式なのだが、一発で合格になった子は一人もいなかった。御多分に漏れず、息子も先生に丸付けしてもらうと4割を超えるくらいの文字に赤が付いた。二度目の提出でも全部は丸にならず、再々練習となった息子。
それだけ先生の審査が厳しいのだから、丸付けを待つ子どもたちで大行列になる。それでも担任の先生は一人一人に丁寧にアドバイスをして、再度練習をしてくるように伝えてくれていた。再々練習となった息子のプリントを見てみると「く」という文字が書けていないわけではない。マスの右上から左真中へ、そして右下へという線の流れにズレがあり、書き直しとなっているようだ。「けっこう厳しいな」というのが私の正直な印象。本当にきちんとお手本通りに書けているか、ということが審査基準のようだ。
「今書いている「く」だと丸がもらえないよ…」と内心思うこともあったが、「ここは口出ししないことが大事」と考え、静観して息子の練習を見守る私。そうこうしていると、向こうから次男を抱っこしたわが家の外交官がやってきた。
「ほら、これ、線からはみ出しているでしょう!ちゃんと書き直して!」
と息子にげきを飛ばすと、外交官の手で消しゴムをかけ、長男に書き方の指導をする。わが家で育った子どもたちは多様性の視点が育つかもしれない。時間ギリギリで合格となったが、合格までこぎ着けたのは妻のおかげだ。
授業が終わり、保護者はいったん校庭で待機。
子どもたちは住んでいる地域ごとに集団下校となる。
この場で子でもを引き取って帰ることもできたが、せっかくなので息子を集団下校に参加させ、その様子を観察することにした。息子は学校に併設されている学童に通っているので、この集団下校に参加したことがなかった。なので親子そろって初めての集団下校。
5月末まで一年生の集団下校には引率の先生が付いてくれるのだそうだ。そこから徐々に引率の距離を短くしていき、最終的には子どもたちだけで帰れるように指導してくれるとのこと。
息子の通っている小学校は車通りの多い道もあるため、
「列から外れないようにね」「前を向いて歩いてね」
と引率の先生から終始アナウンスがあった。厳しいとまでは言えないが、大人の真剣さが伝わるその口調から引率の先生方の気が気ではない様子がよく伝わる。この引率というもの体験すればわかるのだが、責任というものがのしかかれば、かわいい子どもたちが急に憎らしく感じることさえある。真剣だからこそ、子どもというカオスに秩序を求めるようになり、少しでも線からはみ出そうものならば「そこ!線から出ない!」と怒鳴りたくなってしまうものだ。幸いなことに引率の先生はベテランの方が多く、理不尽な物言いをする人はいなかった。(まあ、保護者がこれだけついていればそんなことは言えないだろうが)
曲がり角が現れるたびに「うちはここで帰ります(離れます)」と保護者が声をかけて、離脱していく。長男も集団下校から離脱して学校公開はここで終了、となったのだが、このあとは保護者会がある。
「じゃあ保護者会に行ってくるね」と言って私は家族から離脱して、集団下校で通った道をさかのぼり、再び小学校へ向かった。
そして初の小学校の保護者会参加へ。