『あちこちオードリー オンラインライブ2024〜それ言ってどうすんだ祭〜』見ました。本当に面白かったのでぜひいろいろな人に見てほしいです。
それにちなんで、というわけではないのですが、最近あった自分の出来事で「それ言ってどうすんだ」ということがあったのでそれをつらつらと、割と長々と書きましたのでぜひ読んでください。
中学時代の同級生グールプLine
中学時代の同級生のグループLineが久しぶりに稼働した。
だいたい1年に1回程度稼働するこのLine。参加者は私含め6名。
「中年になってもノリは変わらない、それはいいことなのか?」というのが今回の議題の始まり。
たわいもないとくだらないの中間のようなやり取りが繰り広げられる中学同級生とのLine。もう四半世紀以上の付き合いになる。
この時の流れで話題になっていたのは「生まれ変わっても同じ高校に通うか?」ということだった。
「俺は絶対同じ高校はないね」という友人もいれば、また同じ高校が良いという友人もいる。
その流れの中で、友人Aから以下のようなLineが届く。
友人A「ところでナッツ(このブログの筆者)は生まれ変わったら、もう一度天下一武道会で悟空と戦うことを選ぶ?」
それに続いてに友人BからのLine。
友人B「キターーー!!!」
この友人A、BのLineを見て、うんざいする私。
こいつら、まだそれやるか…。
中学時代のノリ
話はいったん私が中学一年生の頃まで遡る。
先ほどのLineグループの友人達とは中学1年生で同じクラスになったところからの付き合いである。
その当時、私には「ゾンビ」とキャラクターがあった。
どのように始まったかまでは覚えていないのだが、まあ中学生一年生のノリだと思ってほしい。
友だちとつるんでいる流れの中で、私が「あ”あ”あ”ぁぁぁーー」と言っては白目になって変顔をする。
当時はそれが割とウケていた。そこが中学一年生らしい。
友だちからは「それ、もう一回やって」と言われては、「あ”あ”あ”ぁぁぁーー」とやっていた。
友人たちの中では私の持ちギャグというか、ある種の代名詞のようになっていた。
しかも、当時は私も楽しんでやっていたと思う。
中学を卒業してそれぞれが別の高校へ進学
中学校を卒業し、高校生になってからは、この友人達とは年に数回会うくらいの頻度になっていた。
それぞれが、それぞれの高校で千差万別、悪戦苦闘していたことかと思うが、
当然のことながら私の「ゾンビキャラ」は高校まで引き継がれることはなかった。
「ゾンビノリ」が行われるのは中学時代の友人と会うときだけとなった。
人は皆それぞれ、その場所にあった自分になるものではないかとは思う。
家族の前では家族の中の自分、友だちの前では友だちグループの中の自分、
そうやっていろいろな自分を使い分けて生活している。
自分が成人になっていくにつれて、私の中の「ゾンビキャラ」はなくなっていった。中学生のノリでやっていたことなのだから、当然のことなのではないかと思うのだが…
その中学校の同級生グループの中では、変わらずそのゾンビノリが続いた。
友人たちに悪気はもちろんないと思うのだが、
「ナッツはどんな虫を食べるのが好きなの?」
「ナッツは目が4つあるもんな」
というフリが毎回中学の同級生と会う度に数回はやってくる。
しかし、私の中ではこのノリの面白さが徐々にわからなくなっていった。
お題からスベッている大喜利に毎回頭を使うのがある時期から嫌になった。
しかも何かしら回答しても、こちらがスベッた的な空気になるのもまた腹が立つ。そのため、ある時期からはその振りが来てもスカす、もしくは無視するということを対応を取ってきた。何年かに1回会う友人になっている中学生の友人達と過ごすと、そういった我慢の時間を数分強いられるようになる。
そういうちょっとしたイライラが10年ほどだろうか…、続いた。
少しずつ溜まるイライラがピークに達するとき
話題をLineグループのところに戻す。
友人A「ところでナッツは生まれ変わったらもう一度天下一武道会で悟空と戦うことを選ぶ?」
友人B「キターーー!!!」
未だにこのゾンビキャラのいじりをしてくるのは、中学の同級生の中でもこの友人AとBだけになっていた。
上記のLineの文章の意味が分かりにくいかもしれないが、これは「お前はピッコロだろ」というメタファーになっている。
ピッコロを知らない人をネットで検索してほしい。
まあ、漫画『ドラゴンボール』の世界では人気のあるキャラクターだとは思う。
また、こいつらやってんのか、とため息が出てくる。
私の返答「友人Aはどう?正解聞かせて。」
友人A「再生能力を使って次は悟空に勝つ、かな」
と返答があったが誰からも返答なくすぐに話題は流れ、友人たちは次の会話へ。
ちょっとしたイライラを抱え、このとき私は以下のように思考がめぐった。
友人A、Bと直接会うのは5年に一度あるかないか程度。
グループLineが稼働するのが約1年に1回程度。
つまり年1回はこのイライラが自分を襲ってくる。
5年も会うことないやつに1年に1回不快な思いをさせられるのは「割に合わないな」
という結論に自分の中でなった。
友人たちのLineが盛り上がっている中、私は以下のような投稿を行った。
私「話の途中悪いのだが、20歳くらいのときから、AとBのそのノリずっと嫌だと思ってた。本当に今ので限界がきた。一度謝ってほしい」
私がマジギレLineをしてからの友人たちの反応
そこから30分ほどの空白が、友人Bから以下のようなコメントが返ってきた。
友人B「ごめんね」
更にそこから1時間後、友人Aから個人Lineで着信があったのだが、私の子どもの寝かしつけをしていて電話に出られなかった。その着信後、すぐにLineが来ており
友人A「さっきのLineの件、直接謝りたかったので電話した。夜分に申し訳ない。コメントの件、本当にごめんなさい」
正直、私は友人たちの謝罪に少し驚いたくらいだった。友人たちも、もちろんのこと大人になっていた。そして私の返信。
私「俺も突然悪かった。申し訳ない。」
このコメントを最後にグループLineは止まっている。
私の中の反省、考察
それから約1週間、この出来事のことを考え続けて今日に至る。
私の中では20年の少しずつのイライラの積み重なっての行動だったが、
友人2人からすると青天の霹靂だったのだろうなと考えた。
しかも、もしかしたら、友人A、Bからすれば良かれと思っていたところもあるのかもしれない。
上述した自分の中のイライラした思いをどれほど友人たちに伝えることができていたのか、ということは反省要因であると考えた。
友人たちもおそらく「よく分からないが、あいつは怒っている」というように考えただろう。
「謝ってほしい」と書いてしまったが、それは私の自分本位なところだったと反省した。
こちらが嫌だと伝えたうえで、どう反応するかは相手が決めるところだったのかな…
一つの教訓として、もし何年かぶりに会う友人がいるとすれば、その友人は本当に今でも自分の知っている友だちのままなのだろうか、ということは一度疑っておいた方が良いということだ。
以上のことを踏まえて考える「フワちゃん事件」
こういった出来事があってからフワちゃん事件の見方が変わった自分がいる。
これまではいくら何でもフワちゃんは叩かれ過ぎではないか、と当初私は思っていたのだが、
自分の思っているノリが相手に伝わるかどうかはわからないのだなと教訓になった。
その時、その瞬間の相手の心理状況がどのような状況なのか、意外とわからないことがある。そして、本人が思っている以上に炎上することもあるものなのだなと。
私はたまにフワちゃんのラジオを聞いていたので、ラジオの打ち切りはショックだったのだが…。
(常連はがき職人のラジオネーム:あんまなあんまんの今回のディスを聞いてみたかったなー)
やす子はフワちゃんのリポストを受けて「とっても悲しいです」と返答していた(はっきりフワちゃんのことだと言ってはいない)が「やす子、働きすぎて疲れていたのかなー」とより同情した。
なぜ今になってイライラがピークに達してしまったのか
改めて自分なりにLineのときのことを振り返えると、もしかしたら自分の中で疲れやメンタル的に病んでいるところが少しあったのかもしれない。
Lineを投げる前に心の中で「もう中学時代の同級生とこれで会うことがなくなるかもしれない」という覚悟はあったつもりだった。
しかし、やはりもう少し冷静になって考えてみると、そのときの自分の体調を鑑みてから行動することは必要、ということがもう一つの教訓となった。